小林のポケモンブログ

主にポケモンの構築記事・考察のブログです。基本的に投稿頻度は少ないです。ソード・シールドでは今のところダブルバトルメインでやっています。

ラブライブ!スーパースター!!5・6話考察 ~貴種流離譚とパッションフルーツ~

はじめに

ラブライブ!』が人気を博し、そこからシリーズが作られていった。その最新世代であり4シリーズ目にあたる『ラブライブ!スーパースター!!』が先日第一期の最終回を迎えたのは記憶に新しいだろう。

 

 歌が大好きで恵まれた歌声も持つ澁谷かのんは、結ヶ丘女子高等学校の音楽科に入学を夢見るが、しかしながら幼少期の出来事がきっかけで人前で歌うことができずに入試も失敗し、失意のまま普通科に入学する。その初日に、スクールアイドルに熱意を持つ、中国からの留学生・唐可可から、歌を聴かれたことがきっかけで熱心に勧誘されるが、強く断った。だが彼女の熱意に心動かされた澁谷かのんは、想いのままに「歌が好きだ!」と叫び、また素晴らしい歌声を披露する。

 

 こうして始まったこの物語は、2話を経てからの3話で澁谷かのんと唐可可が初めてスクールアイドルの大会に出場し、新人特別賞を得て、4話で新たな仲間の平安名すみれが加わる。そして5話では大先輩であり実績もあるサニー・パッションに誘われ、離島でのライブをすることになる。それと同時に、初期からダンスのアドバイスをし続けてくれていた、澁谷かのんの幼馴染・嵐千砂都はまた別の決意をしていて……と話が展開していく。

 

 5話で伏線と謎を展開し、それを6話で回収して新たに嵐千砂都が正式にスクールアイドルとして仲間に加わるわけだが、ここで、この5・6話について、興味深い物語類型とモチーフがあることに気づいたので、ここで論じていく。

 

貴種流離譚

 ここで話が一度変わるが、物語類型の一つとして、「貴種流離譚」というものがある。簡単に説明すると、英雄的な存在は一度苦しい流離を体験するが、それを乗り越えて、より成長した大きな存在となっていく、という類型である。

 

 各文化圏における神話、特に英雄譚でそれは顕著だ。

 

 例えば日本神話におけるスサノオノミコトは、高天原での悪行により天を追われ、出雲へと流される。そこでヤマタノオロチとの戦いを乗り越え、立派な神として認められ、その後も大国主を承認するなどの活躍を見せる。

 

 また神話以外でも、『源氏物語』においては、名声を得ていたはずの光源氏が、ライバル勢力の大事な娘であり今帝である朱雀天皇の后・朧月夜に手を出し、それをきっかけとして政治的に不利になり、自ら須磨へと流離する。そこで嵐に遭い、後に重要な役割を果たす明石の君と出会い、それとともに中央へ復帰し、第一部の終わりには理論上の最高の地位である准太上天皇となる。

 

 これらには共通の物語構造がある。神の子などの尊い血筋または天命を授かった存在(貴種)が、中央から離れたり旅をしたりして苦しむ(流離)が、それを乗り越え成長してより立派な存在になる、という構造だ。これが、貴種流離譚の物語構造である。

 

 それは現代にも受け継がれていて、例えば『ドラゴンクエスト』シリーズであるとか、『ハリー・ポッター』シリーズであるとか、地域・文化圏・時代を問わず、この構造に当てはまる物語は人口に膾炙している。

 

 これについていくつかの考え方があろうが、ひとまず、「強い力も持った主人公が、苦しい旅や経験を味わい、それを乗り越えより強くなる」という物語展開が、ドキドキハラハラと物語の山谷、そして大きなカタルシスを読者に与える、という考え方は変わらないだろう。故に、類型が認められるほどに、当てはまる物語が多いのだ。

 

 そんな貴種流離譚の中でも、世界的にもっとも有名なものがある。

 

 それこそが、聖書の、イエス・キリストの物語だ。

 

 

イエス・キリスト

 聖書の文量は膨大であり、そして世界最大の宗教であるがゆえに、議論が絶えない。ここでは細かいところは抜きにして、大雑把なストーリーラインを追っていく。

 

 神と処女懐胎した聖母マリアの間に生まれた神の子・イエスは、真理を解くために各地を旅して人々に様々なことを説いていく。そうした中で、使徒と呼ばれる偉大な弟子もできていくが、その一人・エスカリオテのユダの裏切りに遭い、十字架に磔にされて処刑されてしまう。だが後に蘇り、イエスは神の下へと昇天する。

 

 神の子(貴種)が処刑に遭い(流離にあたる試練)死亡するも、蘇って昇天するのである。まさしく、貴種流離譚の類型に当てはまるであろう。

 

 そして、この裏切りに遭い処刑される流れのことを、「受難」と呼ぶのである。

 

 そしてこの「受難」の名を冠する果物こそが――『ラブライブ!スーパースター!!』5話で訪れた離島の名物である、パッションフルーツなのである。

パッションフルーツと受難

 パッションフルーツは、パッションという言葉のメジャー性、南国の果物と言うことから感じられるイメージ、その色合いから感じられるイメージから、そのパッションの意味を「情熱」と勘違いされがちである。しかしながら、同じ発音なだけで、パッションフルーツは、情熱を意味するパッションとは無関係である。

 

 では、このパッションはどのような意味なのか。

 

 それは、先述した、イエス・キリストの「受難」である。

 

 Wikipediaに、その由来が載っているので引用しよう。このサイトを参考文献として使う問題についてはご承知の通りだと思うが、そもそもこの論文を乗せているこのブログはクソブログである。ご勘弁願いたい。

 

ja.wikipedia.org

 

ここから引用

 

英名 passion flower は「キリスト受難の花」の意味で、イエズス会宣教師らによってラテン語で flos passionis と呼ばれていたのを訳したものである。 16世紀、原産地である中南米に派遣された彼らは、この花をかつてアッシジの聖フランチェスコが夢に見たという「十字架上の花」と信じ、キリスト教の布教に利用した。 彼らによればこの植物はキリストの受難を象徴する形をしており、花の子房柱は十字架、3つに分裂した雌しべが釘、副冠は茨の冠、5枚の花弁は合わせて10人の使徒、巻きひげはムチ、葉は槍であるなどと言われた。

属名は造語だが、やはり上記比喩に倣ったもの。

なお、英単語 passion には「情熱」の意味もあるが、この植物の名称での passion は「受難」の意味であって、「情熱」の意味ではない。

 

ここまで引用

 

 このように、パッションフルーツは、情熱を意味するものではなく、貴種流離譚で最も有名な、イエス・キリストの受難を意味する植物なのである。

 

 そんな果物が、5・6話で訪れた離島の名物として設定され、そこのスクールアイドルのグループ名はサニー・パッションであり、また5・6話の展開のラストを飾るライブの楽曲『常夏☆サンシャイン』の歌詞にも「パッション」が登場する。パッションフルーツが、5・6話全体を象徴する植物として設定されているのである。

 

 では、5・6話における貴種流離・受難とは何であろうか。

 

 それは、5・6話で大きな展開を見せた幼馴染の二人、澁谷かのんと嵐千砂都の状況のことである。

流離する澁谷かのんと、さらなる流離をしかけた嵐千砂都

 澁谷かのんの状況は先述の通りである。

 

 このころには初ライブなどを通じて精神が上向いてきているが、未だに彼女は一人で人前で歌えない。素晴らしい歌声を持ち、幼いころはその前向きで明るく人を導く輝きも持っていたが、しかし合唱のステージで倒れたのをきっかけに、人前で歌えなくなり、本来行きたかった音楽科には入れず、普通科に「流離」している。のちの11話で過去を乗り越えて人前で歌えるようになり、本来の自分を取り戻した彼女は、仲間とともに学校中の信頼を受けて、最終話のライブに臨む。流離した貴種が、それを乗り越えて成長したのである。

 

ラブライブ!スーパースター!!』第一期には様々な一貫したテーマがあるが、その一つが、澁谷かのんの貴種流離譚であることは、疑いようが無い。

 

 

 またこれと同時に、5・6話の主役である嵐千砂都もまた、貴種流離譚の論理に組み込まれている。

 

 気弱ないじめられっ子であった嵐千砂都は、素晴らしい輝きを持つ幼馴染の澁谷かのんに助けられ、そして彼女との交流を通して、彼女の隣に立つのにふさわしい人間になると決意して、ダンスを見出した。その技能は高く、音楽科へと入学しさらにその中で都大会の代表に選ばれるほどである。

 

 だが、そんな彼女も、澁谷かのんたちスクールアイドル同好会からあえて離れて一人で挑もうとした都大会で優勝できなかったら、今度こそ澁谷かのんの隣に立つのにふさわしい人間になるために、退学して、海外へ武者修行をしようとしたのである。

 

 つまり彼女は、素晴らしいダンスの腕前を持つ存在(貴種)でありながら、自ら海外に武者修行(流離)をしようとしていた、ということなのだ。結果、心配した澁谷かのんが嵐千砂都の下を訪れ、心の底からの語り合いを通して彼女の心は完全に上向きになり、優勝を果たす。そしてその最後に、音楽科を辞め、普通科に転科してスクールアイドルの仲間になった――澁谷かのんの隣に立った。結果としては、流離はしなかったが、貴種流離譚の論理に組み込まれていたのは明らかである。

 

 はたまた、こんな見方も出来よう。

 

 澁谷かのんから大きな尊敬のまなざしを受けていた嵐千砂都は、すでに彼女の隣に立つのにふさわしい存在であった。だが、ダンスで結果を残すことで自分自身で認められるようになるために、あえて距離をとっていた。つまり、嵐千砂都は、流離をしかけただけではなく、すでに澁谷かのんの隣からダンスへと、流離していたのである、と。

終わりに

 物語類型に、貴種流離譚というものがある。その最たるものが、イエス・キリストの受難である。そしてそれを象徴する植物が、パッションフルーツだ。

 

 そんなパッションフルーツが全体を通して象徴する植物として設定されている『ラブライブ!スーパースター!!』5・6話でメインとなる澁谷かのんと嵐千砂都もまた、貴種流離譚の類型に当てはまる状況にあり、そのうち嵐千砂都の貴種流離譚が一旦の結末を迎えるのが、この5・6話なのである。

 

 このように、5・6話とそれを象徴するパッションフルーツとの間には、貴種流離譚イエス・キリストの受難という、深い所でのつながりを見出せるのである。脚本、演出、監督など、製作に関わった何某が、意図的にこれらを違和感なく盛り込んだのは確定的であろう。

 

 またこれは飛躍しすぎであろうが、「パッション」をグループ名に冠する「サニー・パッション」の二人もまた、貴種流離を経験して、今の大人気の立ち位置にいるのかもしれない。最初は苦労した、と作中で語られているのが、その一端を垣間見せる。さらにこれこそ飛躍だが、地元を愛する彼女らがその地元を応援するために島を離れて大会に出る、ということもまた、ある種の流離ともいえるだろう。

 

ラブライブ!スーパースター!!』5・6話とパッションフルーツ

 

 南国と情熱、という一般的なイメージと勘違いを逆手に取り、深いところで象徴性を盛り込んだその手法は、見事と言わざるを得ない。

 

 それでは最後に、『ラブライブ!スーパースター!!』に関わるすべての方々に敬意を表し、次の二つの言葉を、自分に送りたい。

 

 

 

脚本の人そこまで考えていないと思うよ。

 

オタクの妄想もいい加減にしろ。